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2021.06.05
自動車史の記念碑的存在 チシタリア 202
自動車史において記念碑的な存在とされるイタリア車 チシタリア202をご紹介。
チシタリア初のスポーツカー「202」は、ピエロ・タルッフィ、レイモンド・ソマーなど、当時の一流ドライバーが乗って成功したシングルシーター・レーシングカー「D46」をベースに開発された車です。202はその流れを汲み、1947年のミッレミリアで注目を集めました。3台のワークスマシンのうち1台をタツィオ・ヌヴォラーリが駆り、最前列で見事な走りを披露したことでも知られます。しかし、豪雨によるイグニッショントラブルでヌヴォラーリのリードは失われてしまいました。トラブルが起きながらも堂々の2位を獲得し、他の2台のチシタリアに続きました。この日、チェッカーフラッグを受けたのはエミリオ・ロマーノとクレメンテ・ビオンデッティが駆ったアルファロメオ8C 2900Bベルリネッタでしたが、その後に登場した3台のチシタリアは、まだあまり知られていない新たな会社の斬新なスポーツカーとして、人々の注目を集めるものとなりました。
202の心臓部は、直列4気筒プッシュロッドエンジンで、60hp/5,500rpmを発揮します。スペースフレームのシャシーには、ヴィニャーレやスタビリメンティ・ファリーナなど、さまざまなイタリアのコーチビルダーが起用されました。シャーシ番号118SCのこの車には、スタビリメンティ・ファリーナのバッジが付けられており、1976年にチシタリア インターナショナル クラブが作成した登録簿にはそのコーチワークが記載されているものの、最近の研究ではコーチワークはヴィニャーレが製作したのではないかと考えられているそうです。
興味深いことに、この個体はウルグアイ在住のイタリア人、アダルベルト・フォンタナに新車で納車されました。その次のオーナーは、同じくウルグアイ在住のリカルド・アウグスティニアック・カプティ氏。彼が所有していた車は赤に塗られていました。
その後、2000年代初頭にヨーロッパに戻り、不完全なコンディションであったためデュアルキャブレター用に改造されたナルディ製のインテークマニホールドが装着されました。その後、イタリアのベルナルド・ファベロ氏の手に渡り、ホワイトにリペイントされました。その後、ドイツのヘルムート・ベンデ氏を経て、オーストリアに渡り、ザルツブルクのトーマス・マッツェルバーガー氏が所有。その後、ドイツに輸出され、ダークブルーにベージュのインテリアという現在のカラーにレストアされ、ボラーニ製のワイヤーホイールが装着されました。
コーチビルドされたボディとレースで証明されたエンジニアリングを融合させたチシタリアは戦後のイタリアンブランドとして高い評価を得ていますが、その最大の特徴はニューヨーク近代美術館が数十年にわたってチシタリア 202 クーペを永久所有していることに見られるでしょう。それほど、ある種の芸術的作品として評価されている車といえるのです。イタリア車らしいエレガントな雰囲気を持っています。そして、この写真の一台(1950年 チシタリア202SC カブリオレ)は25万~35万ユーロ(約3325~4655万円)という推定落札価格でオークションに出品されています。クーペを好む方も多いかもしれないですが、カブリオレはクーペよりも生産台数が少なく希少な存在です。もちろんひとつのオブジェとしても素晴らしいものですが、レーシングマシンの血筋を引く車としてしっかりと風を浴びせて走らせてあげたいものですね。