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2021.05.29
ランチアのラリーヒストリーにとって重要な一台

ランチア 037ラリーは、新しいグループBルールのもとで世界ラリー選手権を制した最初の車であり、ラリーヒストリーの中でユニークな位置を占めています。その中でも象徴的な一台をご紹介します。

 

ランチアは、1973年にストラトスHFを発表して「型破り」なスタイルを示しました。これは標準的な市販車からの流用ではなく、グループ4のラリー競技専用に設計された初めての車でした。他のメーカーも同様の戦略をとった結果、1979年、FIAは競技分類システム全体の抜本的な変更を決定。1982年から世界ラリー選手権に参戦するグループBが新設されました。グループBのホモロゲーションは200台で良いことになっていましたが、FIAが新規則を完成させた時はメーカーが1982年シーズンに向けてグループBの車を新しく開発するには遅すぎたため、結局旧世代の車は1982年まで走ることが許されました。

 

 
そして、ランチアは1980年4月には開発許可を得て、グループBの最初の候補車を発表。しかし、開発期間は非常に短く、白紙の状態からグループBの新型車を設計する時間はほとんどなかったのです。アバルトのコードネーム「SE037」は、アバルトのセルジオ・リモーネが担当することに。リモーネはシャシーやエンジンの候補をいくつか検討しましたが、ランチアがグループ5耐久レースで成功を収めたベータ モンテカルロ ターボから037を派生させることにしました。
 

 

しかし、ラリーカーはサーキットレーサーとは異なる性能やサービス特性が求められます。そこでリモーネは、横置きエンジンのモンテカルロ ターボとは異なり、ランプレディ社製のツインカムエンジンを縦置きにすることで、リアサスペンションの設計自由度を高め、サスペンションやギアボックスへのアクセス性を向上させました。また、スロットルレスポンスを向上させるために、サーキットレーサー用の排気管式ターボの代わりに、当時アバルトの社長であったアウレリオ・ランプレディが愛用していたルーツ式スーパーチャージャー「volumex」を採用しました。

 

 
セルジオ・リモーネがSE037のスケッチを描いたのは1980年4月のことで、同年9月にはモンテカルロ ターボの開発に携わったジャンパオロ・ダラーラが037のプロトタイプシャシー(SE037-001)を製作していました。リモーネはグラスファイバー製のボディを同じくトリノのCBC社と共同で製作。プロトタイプは、1980年のクリスマス前にカンポヴォーロでの初走行の準備が整いました。
 
 
 
この写真の個体である シャシー SE037-001の開発ヒストリーは詳細に記録されています。1981年1月から、リモーネはシャシー001のサスペンション、ドライブトレイン、ボディワーク、空力など広範囲にわたって監督しました。2月中旬には、001のスパイ写真がモータースポーツ専門誌に掲載されましたが、まだおこなうべき多くのテストが残っていました。駆動系では、ノーマルエンジン、ターボエンジン、スーパーチャージャー付きエンジンのテストがおこなわれ、サスペンションはミシュランとピレリのタイヤでテストされました。また、ピニンファリーナの風洞で行われた空力テストでは、リアのボディワークが大きく変更されています。リアのダウンフォースを確保するために、リアにエアロパーツを装着しない状態、ウイングを高くした状態、そして最終的に大型のスポイラーを装着した状態といった具合でテストが実施されました。
 
1982年4月1日のホモロゲーション取得までに200台の量産車が必要だったため、リモーネの開発スケジュールはタイトでした。他にもプロトタイプはいくつかありましたが、037のラリープログラムにおいて重要な開発役割を果たし続けることに。1981年11月には、ランチアのテスト・サーキットで037初のグラベル・テストがおこなわれました。
 
 
ランチアは1982年を開発の年とし、037を走らせて勝利を求めるのではなく、新型車のシェイクダウンをおこなうことを目的にしました。1982年の世界ラリー選手権には新型のグループBが出走できましたが、ほとんどが前年のグループ4マシンたちの戦場となりました。ワークスカーが不足していたため、SE037-001が投入されました。1月にはマルティニ・レーシングのカラーリングでテストサーキット「ラ・マンドリア」に登場。4月にはギリシャに送られ、1982年アクロポリスラリーの偵察車として活躍することになりました。
 
 
SE037-001は開発を終えてアバルトに戻され、解体されることに。しかし、1983年6月30日にセルジオ・リモーネがアバルトから購入したことで、その運命を免れることになりました。セルジオ・リモーネは、1981年に開発されたプロトタイプの姿に戻すべく、丁寧なレストアを施し、2010年にはランチアのラリー愛好家であるフェデリコ・ブラッティ氏の手に渡り、ランチア・クラブからCertificato di IdentitàとFIVAのIDカードを取得しています。
 

 

ランチアの歴史において、重要なマイルストーンであることに間違いないこのプロトタイプは来月イタリアで開催されるオークションに出品されるとのこと。推定落札価格 70万~90万ユーロと発表されています。一体どのような価格となり、どこの国のコレクションに加わるのか、結果が楽しみですね。

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